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就職したら英語とか要らないだろwwwwwと思っていた話

YukaNomal「英語物語」デザイナーのゆかりんです。

おっと、デザイナーではあるけど、キャラクターやストーリーを担当しているゆあーん氏とは別人だ。僕はウェブサイトや紙媒体、バナー等のデザインを主にやっている。

YukaNomal今回は僕の思い出話をしよう。いや、タブを閉じるのは待ってくれ。正確に言えば、これは「体験談」だ。
 
 
就職したら、英語とかいらないだろwwwww
 
 
……と思っていた僕が、実際に就職してみてどうだったか。結論を言うと、今、必死で英語をやるハメになってる! 辞書を引き、英文を書き、高校の時使っていた参考書とかを引っ張り出して。一体どういうワケなんだ?
 
 
これは僕のケースなので、万人に当てはまる話じゃないかもしれない。けど、僕はフツーの人なので、「フツーの人が、日本社会で英語をやるハメになる具体例」には違いないと思う。

フツーっていうのは「英語的にフツー」ってこと。日本で生まれて日本で育ち、留学経験もない(旅行すらない)。最初に言っておくが、これは「フツー」の話であり全然ドラマチックではない。
 
 
まあ聴いてくれたまえ。

英語からの解放
YukaNomal
2006年の春、京都。合格発表会場を後にした僕は、阪急電車に揺られながらAkeboshiの「Hey There」を聴いていた。若い男がのどかな春の訪れを歌った、どことなく「卒業」っぽいイメージの曲だ。
 
 実際うららかな日和で、これはゴキゲンなチョイスだ。僕は高校を卒業した直後で、しかも今しがた通う大学が決まったばかりだったから。
 
 
これで英語ともおさらばだ!」 
 
「受験直後の英語がデキルうちにTOEICを受けておけ……と教師は言うが、絶対にイヤだ
 
 
僕は割と英語がデキたんだが、試験というものが大キライだった。あの手の悲劇はもう終わりにしよう。これからのオレは自由に生きるんだ。そんな風に考えていた……。
 
 
前置きはこれくらいにしとこう。望み通り、僕は大学でほとんど英語を使わなかった。といっても語学の授業はあるし、大抵の研究分野では英語の論文を読む。しかし論文は「意味が分かればいい」のであり、「辞書を使っちゃいけない」とか「30秒で1問解かなきゃいけない」とか、そういう気が狂ったルールは無い。その上で言っておくが、研究の道に進む諸君は英語とトモダチになる必要がある。しかし僕はそっちには行かず、4年(5年だったかな?)で大学を出た。
 
 
就職したのである。

ベトナム出張
YukaNomal
どんな会社だったか言っておこう。大阪に本社と工場、東京に事業所を持つ、規模にして100~200人の中小企業だ。僕の仕事は営業だった。外資系でもなければ大企業でもない。まあ、「フツーの日本企業」と言っていいと思う。
 
 
入社して一年後、そこで何があったか。ベトナム出張だ。
 
 
……といっても僕は行ってない。僕の同期が行って、英語で一行の案内役をしたそうだ。将来的な海外進出を踏まえた動きだった。
 
 
何が起こっていたのか? 俗に「グローバル化」って言うけれども、日本企業が海外の安い労働力を使うようになってきた。海外で出来る仕事は、海外でやった方が安く済む。だから、それができる企業はどんどんやり始めている。
 
 
……一度は聞いたことがあるような話だ。けど、そんなのって大企業の話じゃないか!? 「海外に支部がある」って聞いたら、中高生的には大企業を思い浮かべると思う。(僕だけか?)
 
 
考えてみると分かるが、社会に「大企業」「中企業」なんて区分があるわけじゃあない。……いや、あるけど、法的な話であり、「お客さん」にとってはどっちも同じ「企業」だ。二つの「企業」が同じ商品を出していたら、フツーに比べて、フツーに安い方を買うだろう。つまり……
 
 
「大企業」が外国進出して商品を安く売っているならば、「中小企業」も同じことをしない限り、どうして競争に勝てるだろう
 
 
要するに「規模とか関係ない」って事。200人の会社でも海外支部を持つ、そういう時代になっていた。マヌケにも、イメージだけで「中小企業だから海外関係ないよな」と思っていたわけだ。
 
 
活躍のチャンスを逃したワケ。

TOEIC
YukaNomal
というかもっと言っておくと、その会社は既に海外で動いていた。知らなかっただけだ。中国の協力会社と連携してたんだ。別部門の同期は、入社と同時に研修で中国に行った。こっちで要るのは中国語だけどな。
 
 
そういう流れだったので、二年目に若手が全員TOEICを受験させられた。
 
 
……あのTOEICだ。さっき絶対イヤだって言ったヤツ。
 
 
慌てて参考書を買ったけど、中々手が付かない。6~7年ぶりに英語の試験を受けたことになる。
 
 
半分(500点)も取れなかったね。

そして「英語物語」へ
YukaNomal
色々あって僕はフリーランスになった。
 
 
「まあ、今度こそ英語と縁は切れたな」
 
 
その頃「英語物語」開発者のGongはセブに居て、フィリピン人講師や技術者とアプリを作っていた。たまに会うと「日本はサムイ」とか言っている。
 
 
「大したヤツだな~~」とか思っていたんだが、ひょんな事から一緒に仕事をすることになった。「英語物語」……英語……でもまあ、Gongと英語でやり取りするわけじゃないし、デザインに英語は関係ないよな……?

 

YukaNomal
「僕は何から始めたらいい?」

GongNomal
「フィリピン人技術者とチームでWEBサイトを作ってくれ。指示は英語な」

YukaNomal
ワーオ!

 

YukaNomal
そういう次第で、僕はヨドバシでマイク内臓カメラを買ってきた。Skypeでフィリピン人スタッフとミーティングするためだ……。
 
 
まあ、何言ってるか全然わからないし、こっちの言ってることは通じない。というか単語が出てこない。そりゃ、そうだろ。
 
 
指示書やなんかも英文で作るので、辞書を引き引きやり取りをして、このWEBサイトを作ってるわけだ。
 
 
……と、ギャグっぽく言ったけど、多分これって珍しい事じゃないんだよね。カジュアルにそういう仕事をする時代になっている。それがフツー。今後どんどんそうなるのだろう。僕はトッポイので、わが身に降りかかっても悟らなかったわけだ。

YukaNomalというわけで、いま中高生の諸君は英語と縁が切れないぞ。僕から贈る言葉はこれだ……
 
 
諦めてくれ。 
 
 
せめて「英語物語」で楽しく英語をやって欲しい。僕も今、マジに「英語物語」で復習やってるんだ……。

 
 
そんなゆかりんが押し入れから引っ張り出してきたのはコレだ。

 
いずれまた話すが、ボロボロになりつつも一応このサイトを作れたのは、昔これをやりまくったお蔭。良かったら見てみてくれ。まあまた話すよ……。